ひきこもりからの脱却

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兵庫県  M・Kさん(63歳、女性)

〔Nさんとの出会い〕

 私は平成16年12月にNさんのお姉さんから、弟のNさんのひきこもりについて相談を受けました。翌年2月にお母さんを紹介され、それからお姉さんとともにNさんのお宅を訪問しました。
 そのころ、Nさんは完全にひきこもりの状態で、誰が来ても会おうとはしませんでしたが、子ども好きなNさんは当時保育園に通っていたお姉さんの娘さんに手を引っ張られるような形で部屋から出てきました。しかし、私と話そうという感じもなく、お父さんも、席を立って奥に引っ込んでしまわれました。
 それで私も失礼しようかなと思いましたが、お母さんが縋るような顔で私を見ておられたので、何かしなければと思いました。そこで思い切って「あんた自分の殻を破りたいんやろうけれど、中々破れんのやろ。殻というものは自分で破らないと外に出られないのよ。おばさんは、殻はよう破らんけど、上からちょっとつついてひびぐらい入れられるかなあと思って、今日は来たんや」と話してみました。
 それから私はNさんに浄化療法を説明すると、「受けてみる」と言われました。
 帰り際、お母さんがNさんに「このおばさんに今日受けた浄化療法を、しばらく続けてもらおうか」と訊ねたら、「うん、この人やったらいいよ」と返事がありました。

〔働くまでの取り組み〕

 Nさんのご両親は理髪業を営んでおられます。3月と4月は、お店の休みの午後に伺い、お母さんとNさんに浄化療法を施術しました。しかし顔を出さない日もあり“これはあかんな”という感じを受けました。
 そこで、思い切って「神戸にある健康増進センターに行ってみない?」と声をかけたら、「行こうかな」という返事が返ってきたのです。
 Nさんには浄化療法と美術文化法の一つである花のいけこみを体験してもらいました。
 増進センターに行った後、Nさんが、「家に来てもいい」と言ってくれましたので、直接、家に通うようにしました。
 4月の終わりから毎週木曜日の午前中に訪問しましたが、浄化療法は受けてくれるのですが、なかなか心を開いてくれませんでした。
 私はどうしたらNさんと心を通わせられるかと考えました。Nさんの好きな本を何冊も借り、電車の往復などの時間を利用して読みました。中島ラモさんとか、町田康さんとか、今まで読んだことのない小説を一生懸命読みました。
 5月の中ごろでした。Nさんが自分で昼食を作り、「一緒に食べよう」と言ってくれました。また食事の後、初めて駅まで見送ってくれました。
 このころは、CDを交換したりもしました。またNさんが私と同じ携帯を買ってきて、「メール交換をしよう」ということになって、それで会わない日はメール交換をしました。私は平仮名しか打てないような状態でしたので、漢字への変換を娘に教えてもらったりして、Nさんとの交流のために一生懸命覚えました。それで「本を読んだ」とか、「今日は夕方風が吹いた」とか、「雨がふった」とか、何気ない日常のことをメールしました。
 6月に入って、少しずつ会話ができるようになってきました。ある日、Nさんから「Mさんが帰ってから、気持ちが楽になるのが分かってきた」と、「何でかなーと思うて、俺よう考えたら、両親ともほとんどしゃべらへん。Mさんとは2時間位しゃべったり、一緒にご飯を食べたりしとるねん」と、話してくれたのです。

〔社会人としての再出発〕

 そうした6月のある日、朝8時半ごろ、Nさんから「今から面接に行く」と、電話がかかってきました。そして午後2時半ごろ、「俺明日から働くよ」と連絡が入りました。突然でびっくりしましたが、Nさんが自ら外に一歩を踏み出そうとしているのだと思い、私はとても嬉しかったです。
 明くる日、「息子が8時に家を出ました」と、お母さんから電話がかかってきました。それはもう、大変な喜ばれようでした。
 Nさんのお母さんと私は年が同じです。Nさんに対してここまで一生懸命に取り組めたのは、そうしたことも理由の一つにあります。「仕事から帰って、息子が布団を被って寝ていると思うと、もう胸のあたりが痛うなるのよ」と言われるお母さんの胸の内が、ひしひしと感じ取れたのです。
 最初に見つけてきたアルバイトは大きな釜のそばで働くという重労働で、1ヶ月続けることができました。
 次は、8月に入って、私の知り合いのお好み焼き屋さんが支店を出すということでNさんを雇ってくれることになりました。しかし、3週間目に辞めてしまいました。
 ご両親は、またひきこもるのではないかと心配されましたが、その2日後にNさん自身が次の仕事を見つけてきました。仕事は荷揚げ屋さんという荷物を担ぐ、きつい仕事でした。
 しばらくしてNさんが「次々と仕事を変えるのは、いけないよね」と相談をしてきましたので、「そんなことはないよ。自分に合った仕事かどうかということが大切なことだと思うわよ」とお伝えしました。
 それで、10月末には、水道関係の仕事が、あるきっかけで見つかったのです。「今度の仕事は職人の仕事やから、手に職をつけたい」ということでした。
 周囲の仲間が気を配ってくれているということを、また、仕事とはそういうことが大切だということを、理解してきているように見えます。

〔N家が変わる〕

 平成17年7月にNさん親子も、お互いに浄化療法をしたいとの思いからMOAの会員になりました。そして18年4月に地元の健康生活ネットワークに加わってもらいました。これから、さらに幸せな家庭を目指していく上で、ネットワークの協力が必要ではないかと思ったからです。
 平成18年3月に入って、Nさんの叔父さんがガンで入院されて、Nさんは「自分が後悔したくないから叔父さんに浄化療法を施術したい」と言って、週2~3回通うようになりました。その後、ネットワークのみなさんが対応してくださいましたが、この取り組みを通して、Nさんのお父さんもネットワークの絆の強さを実感されたようです。残念にも叔父さんは、5月22日に亡くなられましたが、お姉さんは「今回のNの行動には私も頭が下がる」と言われました。
 Nさんの変化は家族を変え、家庭を取り巻く環境も変わってきています。
 
□ Nさん(36歳)の手記

〔ひきこもりの状況から脱して〕

 Mさんに初めてお会いした当時、両親には「俺がこういう風になったのは、お前らのせいじゃ」とよく叫んでいました。そのころは両親のせいだと思っていました。母が朝、食事を作ってテーブルに並べて仕事に行きます。僕はそれをお腹が空いたら食べて、また布団に潜って1日を過ごすという生活でした。
 両親も仕事から帰ってきて、僕の閉じこもっている姿をみて、父は母に、「お前がこんなにしたんや、お前の育て方が悪いからや」みたいなことが聞こえてくるし、「全部この家の悪いのは、こいつが寝とるからじゃ」と言って、2人で喧嘩しているし、そういうことを聞くのはいやでした。とにかく先が見えない不安感と、焦燥感ばかりがありました。
 自分がこうなりたいという、おおざっぱに言えば“もっとかっこよくなりたい”という理想があって、“友だちは結婚して子どももおるわ、普通に働いとるわ、俺は両親と一緒に家にいて、仕事もしてないわ。もうちょっと普通に働いとったら普通にこういうふうになっとるのになあ”と思ってしまうのです。“同級生とどっかでおうたら、どない会話したらええねん”と考えてしまうのです。
 毎週、Mさんが来てくれたのです。“何でこの人はここまでしてくれるのや、親から金もろうとる訳でもないし。時間も片道1時間以上かかるし。損得考えたらやれんことや。不思議な人がおるなー”という気持ちでした。
 悔しかったけれど、Mさんから、僕がこうなったのは「魂がやせているのよ」ということを何度か聞かされました。また、「これひょっとしてN家をまとめるためかも知れんね」とも言われました。そういう言われ方は初めてでした。今までは10人が10人「ひきこもっているお前が悪い」というような言われ方でしたから、気持ちが楽になりました。
 4月に神戸のMOA健康増進センターへ行くと返事をしたのは、Mさんから声をかけてもらって、“行ったら喜ぶかな”という思いからです。しかし、返事はしたものの、いざとなると相当勇気が要りました。
 今振り返ってみると、Mさんが外との繋がりになってくれたのです。それが大きかったと思います。家族との会話だけでは道がつかなかったと思います。Mさんから「私は手助けできるけど、最後は自分やで」と、それから、「人と同じ物指しで自分を決めたらあかんよ」と、何回か言われました。
 それまでも求人広告はずっと見ていましたけれど、「面接、受けさせてください」という電話をかけることはできませんでした。
 やっぱり、“どないに思われるんやろう”とか、“俺、1日閉じこもっとるし、顔みたらばれるのかな、変なやつやと思われるかな、受かるわけないわ”と自分で考え込んでしまうのです。とにかく働くことへの怖さがありました。
 しかし、Mさんが僕のために一生懸命になってくださる姿に接するうちに“働くしかない、何か動かんとあかんわ”という思いも次第に強くなっていました。そして平成19年6月18日に、何とか勇気を奮い起こして、求人先に電話をしてみました。大きな釜のそばで働くので、時給がいいバイトだったのです。面接に行ったら「みんな、しんどい言うて辞めるで」と言われました。それで「1回やらせてみてください」とお願いしました。熱い釜の前で、汗だくになる仕事で本当にきつかったです。
 それから何度か仕事を変えましたが、そのたびにMさんが親身になって対応してくれました。家族でもできないようなことをしてくれました。

〔岡田式健康法と岡田先生の本を読んで感じたこと〕

 Mさんから浄化療法を受け始めて1ヶ月位経った時でしたか、体の変化を感じるようになりました。体が楽になるし、気持ちよくなりました。すごいことがあるなという感じです。
 僕が本好きだということを知って、Mさんから本を渡されて、初めて岡田先生の考えを知りました。一般の書物を読んでいると、よく“これちょっとおかしいな、これちょっと納得できへんな”と思いますが、岡田先生が書いていることは理屈が通っていると感じました。「借金」について書いてありましたが、きれいごとだけではなく、現実的な説得力のある内容だというように感じました。それからは、一つひとつの内容が体験をすればするほど“あーそんなんや”と、納得できるものがありました。
 感謝の心が大事という論文を読んでいても、衣食住が揃っていることや、自然の恵みがあること、先祖や両親がいるから自分が存在していることなど、普段あたり前のように思っていることの中にも、感謝することが様々あることが分かりました。
 Mさんから、「どんなに偉そうにお父さんお母さんに言っても、この一年誰に食べさせてもろうてきたんや、誰に住まわせてもろうてきたんや」と言われました。ですから、働きだしたのを契機に、両親と食事をするようにしました。
 平成18年1月にMOAの仲間になりました。そして、岡田式浄化療法では、療法士3級の資格を取りました。家族やネットワークの人に浄化療法を施術しました。
 Mさんから、自然食とか、自然農法のこともいろいろ聞いて、食生活に少しずつ取り入れています。自然農法の野菜なども、食べてみて“味が違うな”思います。
 最近、部屋に花をいけることもしています。花があると落ち着くというか、素直な気持ちで“綺麗だな”と思います。
 叔父さんは平成18年5月22日に亡くなりましたが、この日は両親が休みの日でした。父は少し酔っていましたけれど、叔父さんの名前を呼んで「よう頑張ったのー、Nもやっとまともになったぞー」と泣きながら語りかけていました。父も僕のことでは相当苦しんでいたのかと、あらためて両親の思いというものを感じました。

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