ボランティアを通して新しい生きがいを見いだす

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北海道  A・Tさん(29歳、男性)
A・Fさん(51歳、女性)

〔ドロドロの退職劇〕

【Tさん】
 私は平成21年にタクシー会社のB社に入社しました。それまでは同じタクシー会社のA社で5年間、整備士として働いていたのですが、B社で働いている従兄弟から「ウチの会社に来てくれ。頼む」と誘われたからです。
 会社から事前に勤務時間や給与、仕事内容などの条件を聞いていたのですが、いざ入社してみると条件が違っていました。給与は低く、仕事内容も整備士以外の業務を頼まれるようになり、いつしか乗務員の運行管理までやらされていました。採用条件と違うことを会社と話し合ったのですが、改善はされず、言い争いをするようにもなり、会社との関係が悪くなっていきました。仕事内容もどんどん大変になっていき、心身ともに疲れていきました。
 
【Fさん】
 私は10年ほど前から難病を患い、入退院を繰り返しています。仕事もできず、夫とも離婚しているので収入は障がい年金だけです。それだけに、息子は“自分がしっかりしないといけない”という思いから、仕事がつらくても、夜遅くまで仕事をしても我慢していたのだと思います。息子が仕事を辞めたので、生活保護を受けていますが、その状態から脱却したいために、息子は仕事探しに焦っているように思います。親として重荷を背負わせて申し訳ない気持ちです。
 
【Tさん】
 平成21年9月には精神的にも肉体的にも限界を感じ、7日の朝、B社に電話しました。しばらく休みたいと連絡をしたのですが、会社を辞めるつもりでした。
 “明日からどうしよう”と思いました。家の生活のことを考えるとプレッシャーでした。家にも帰れなくて、何日間か、ほとんどご飯も食べないで、市内をうろうろして過ごしていました。
 
【Fさん】
 息子が急にいなくなったので、娘にハローワークやデパートなどあちこちに行って探してもらったのですが、なかなか見つかりませんでした。
 その間にB社の方が家に訪ねてきました。そこで会社での息子の様子を話してくれたのですが、悪口を言い始めました。「仕事をしなかった」「よくさぼっていた」「仕事は全然できない」と散々言われ、息子が帰ってきて自分の会社に戻りたければ戻ってきてもいいし、辞めてもいいと言われました。
 息子がA社にいた時は、乗務員の方からは真面目で熱心に仕事をしていると聞いていましたし、B社でも頑張っている様子でしたので、私は何か悪意を感じ、謝る気になるどころか食ってかかってしまいました。その後、息子の従兄弟に電話したのですが、彼は「本当は一番仕事していたのはT君だったよ」とも言っていました。
 9月10日、息子が帰ってきたので話し合い、退職の手続きをすることにしましたが、その後もドロドロとした退職劇があり、私も息子も大変な思いをしました。

〔就職活動中にボランティア〕

【Tさん】
 退職してからはハローワークに行って仕事を探し続けました。でもなかなか仕事は見つかりませんでした。整備士の仕事にこだわらないで、自分ができそうな仕事をいろいろ探しました。何とか仕事が見つかっても面接を受けるどころか、書類選考で何度も落ち、全く就職のめどが立ちませんでした。
 8社ほど落とされた時、どん底の気分というか、もう何事にも意欲が湧かず、自信を失っていました。
 10月に入ると、母がお世話になっているMOA健康生活ネットワークのMさんから、下旬に開かれるMOA美術館児童作品展と表彰式の手伝いをしてくれないかとお願いされました。作品展の実行委員会の人たちの高齢化が進んでいて、若い人の手伝いが欲しいとのことでした。
 正直、手伝いをしている場合ではなかったのかもしれません。“早く仕事を探さなきゃ”と焦っていましたが、何か考えさせられるものがありました。自信を取り戻すチャンスだと、運命的に感じていたのかもしれません。とにかく、今の自分の状況を良くするためにいろいろチャレンジしてみようと思い「いいですよ」と返事をしました。

〔「STAFF」の名札を貰い自信を取り戻す〕

【Tさん】
 児童作品展が開かれる2週間前の10月22日の事前準備から手伝いに行きました。内容は小学生が描いた絵画、書写の作品を台紙に貼る作業でした。この日は20人ぐらいの方が手伝いに来ていましたが、作品の数が約1,000点もあったので、作業がとても大変でした。翌日も作業があったので、私は友だちにも声をかけて仲間を増やそうと思いました。しかし、前日の夜ということもあって、結局、集めることはできませんでした。
 それでも、Mさんたちは手伝いを呼ぼうとしてくれたことが嬉しかったらしく「ありがとう」と感謝されました。ほかにも作業をしている時、「ありがとう」とたくさん言われて、この2日間はひたすら感謝されていたように記憶しています。そもそも家族以外の人から「ありがとう」という言葉を久々に聞いたような気がして気持ちが良かったです。
 作品展の前日も、会場づくりの手伝いをしました。その場で気づくこともいろいろ発案して提案をしました。
 そして作品展当日も手伝いました。その時、ある方が「A君、A君」と手招きして私を呼びました。そして「はい、これを付けて」と「STAFF」と書かれた名札を渡されました。「え~!」と驚きました。自分はボランティアでお手伝いをしているのであって、スタッフなんて役割をするとは思っていませんでした。
 でも「STAFF」の名札を貰った時、“自分は必要とされている、頼りにされている”ということが実感できて、自信を取り戻したような気がしました。
 そして、自信を取り戻した影響なのか、児童作品展が終わった4日後に就職が内定し、11月から郵便配達の仕事が決まりました。

〔浄化療法のボランティアで新たな生きがいを見いだす〕

【Fさん】
 市内では2ヶ月に1度、MOA会員の日という、会員の交流や浄化療法の施術の勉強ができる集まりがあるのですが、月曜日の昼間なので、日中に仕事がある人は参加するのが難しいですし、私も足が不自由なので息子が送迎してくれないと、なかなか参加できませんでした。
 でも、2ヶ月に1回、市内のMOA会員の青年さんが夜にボランティア活動をしていることを知りました。平成21年12月、スタッフの方から私宛に電話がかかってきて、「ボランティアをしている青年から浄化療法を受けてみませんか?」と言われました。息子と同年代の子が来るとのことで、交流が深まればと思い、お願いすることにしました。
 当日は男性と女性の2人の青年とスタッフが来られました。私に施術をしてくれたり、息子に浄化療法の施術の仕方も教えてくれたりしました。私は「何か青年の活動があったら、息子も誘ってあげてください」とお願いすると、2月に集まりがあると女性の青年の方から連絡が来て、息子は参加することにしました。
 
【Tさん】
 平成22年2月から、体調が優れないとか怪我をしていて外出が難しいMOA会員さんのお宅に行って、浄化療法を施術するボランティア活動に参加しました。私は平成21年9月15日にMOA会員になったばかりなので、浄化療法を施術した経験が少なく、緊張したのですが、事前にスタッフの方にアドバイスをもらいながら、施術しています。
 浄化療法を施術して、「ありがとう」と言われたり、笑顔が見れたりすると“あぁ、やって良かったな”と嬉しくなります。最近、職場でも、誰かに何か手伝ってもらったら笑顔で「ありがとう」と何も抵抗なく素直に言えるようになったのですが、それはこの活動をしているからできるようになったと思います。
 ボランティアが終わると、一度青年たちが集まって、気づいたことや喜ばれたこと、もっとこうすれば良かったなどの感想や情報交換をします。その後、飲み会になるのですけれど、それも含めて、仕事以外で同じ世代の人と交流したり、一緒にボランティア活動をしたりするのがとても楽しいです。
 ボランティアを楽しくやっているのですが、自分にこういう一面があるとは思ってもいませんでした。たぶん、人のためになっていて、自分のためになっている、ボランティアをしていると自分が成長している、自分が大きくなっているのが分かるので、それが楽しくて生きがいというかやりがいを感じているのだと思います。
 就職活動をしている時はどん底の状態でしたけれど、児童作品展のボランティアをしたことをきっかけに、今はパワーアップした感じです。心も体も一番安定している感じがします。
 今年の8月に浄化療法3級療法士の資格を取得し、10月から月に1回程度ですが、札幌療院で療法士のボランティアをするようになりました。これからは、人のためになるような活動の幅を広くし、頑張っていきたいと思います。

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