不登校から無遅刻、無欠席へ

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石川県  M・Yさん(18歳、男性)

〔不登校のきっかけ〕

 平成15年5月、中学1年生だった僕は学校へ行けなくなりました。
 小学校から中学校になって勉強は新しくなるし、部活(野球部)も始まり、新しい環境での生活に上手く溶け込めなかったのかもしれません。
 入学してから僕は勉強にちゃんとついていけるようにと、帰宅してからすぐに宿題に取り組み、遅い時は午後11時過ぎまで、間に合わない時は朝早く起きて宿題に取り組みました。父も時々一緒になって勉強を教えてくれました。
 でも、新生活が始まった緊張からか、勉強が思うようにはかどらず、5月に担任の先生に「勉強が覚えられない」と相談してみました。すると先生からは「覚えるのが当たり前でしょう」みたいなことを言われました。僕はその言葉がとてもショックで、その日からあまり眠れなくなりました。不安で気持ちが張りつめ、頭が混乱してしまい、学校へ行けなくなりました。

〔金沢療院で岡田式健康法を受ける〕

 学校を休むようになると、母に連れられて金沢療院に行くようになりました。療院へは以前行ったことがありますが、特に印象はなく、正直“ここで治るのかな”と思っていました。
 療院では岡田式健康法を受けました。週に5日ぐらい通っていました。初めのころは、不安と混乱で、詳しく内容を覚えていませんが、浄化療法を受けても、お茶やいけばなを体験しても何も効果を感じませんでした。
 学校の夏休みに入ると、なかなか療院へ行けなくなって、そのことに対する不満と、学校へ行けなくなった不安感と重なってイライラし始め、母親との口ゲンカが増えました。つい「もう療院で浄化療法なんて受けたくない」と言ってしまうこともありました。でもそれは本音ではなかったです。自分でも不思議ですけど、ほかの方法を探すとか、浄化療法をやめようとは思っていなかったのです。
 夏休みの終わりころに、母の提案で、家族全員で療院と同じようなお花のセラピーを家で行い、楽しむことができました。僕は、その日から再び母と一緒に療院へ行ったり、同じ地域のMOAのメンバーの方の家に行ったりしながら、浄化療法を受けたり、いけばなを体験するようになりました。

〔「学習支援室」への登校〕

 平成16年2年生の新学期を前に、担任の先生がわざわざ家まで来て「新しいクラスになったから」と誘ってくれたので、学校に行こうと思いました。約1年ぶりにクラスで授業を受けましたが、1週間もするとつらくなってきました。
 ある日、廊下で小学校からの付き合いのある友だちと会い、普通クラスのほかに設けられた「学習支援室」の話を聞きました。その友だちも学習支援室に通っていて、僕もその教室に行きたいと思い、担任の先生に相談して通うことになりました。内容は、普通クラスとは異なり、授業は午前中のみでした。また、最初のころは、勉強というよりも雑談したり、トランプをしたりする時間もあって、続けて登校しようという気持ちになりました。
 でも、支援室に行けるようになっても普通の教室に行けませんでした。その一歩を踏み出そうとすると、“何だか分からない不安”が込み上げてつらくなってしまうのです。
 2年生は支援室に通い続けましたが、3年生になった平成17年5月、再び学校に行けなくなりました。
 直接の理由は、新学期に学習支援室が縮小されたことです。支援室は2クラスから1クラスに縮小され、担任の先生もあまり来なくなり、行きづらくなったのです。

〔岡田先生の本を読んでの変化〕

 心配した母は、今まで以上に僕に浄化療法を施術するようになりました。3ヶ月間、ほぼ毎日1時間は受けていたと思います。
 平成17年9月に再び担任の先生が家に来て、「また楽な内容から始めていこう」と誘ってくれました。その時、僕は不思議と学校へ行ってみようと思いました。
 再び学習支援室に通い始めたころ、母から岡田先生の本を読むように勧められました。
 毎日読み続けていると、母から毎日のように受けている浄化療法の原理や作用などの詳しいことがだんだん分かるようになり、興味を持つようになりました。特に興味を持ったのは、「浄化作用」に関する部分です。つらいことがあっても、それは、その人の人生がより良くなるための作用というようなことが書いてありました。精神的につらい時に、浄化作用に関する部分を読むと気持ちがとても落ち着きました。
 また、療院の方と一緒に松任瑞泉郷にも行きました。週に1回、最低でも月に1、2回は行きました。そこでは、岡田式健康法を体験したり、草むしりをしたり、足湯に入ったりと体をよく動かしました。それまでは家にこもっていたので、とてもリラックスできました。このころから、不安感が徐々になくなり気持ちが楽になっていくことに気づき、“この健康法はいいな”と思うようになりました。

〔浄化療法による変化〕

 こうして振り返ってみると、1年生の時よりも2年生、2年生の時よりも3年生になると、気持ちが楽になっていることに気づきました。
 母に勧められて本を読むようになってからは、浄化療法の見方も変わりましたし、受けた時の感じ方も変わりました。以前は何も感じていなかったのに、気持ちが楽になったり、体の部分が温かくなったり、時には施術された所に痛みを感じるようになりました。
 “母に浄化療法の施術をしてあげたい”という気持ちにもなってきました。それまでは1ヶ月に1回ぐらい、母から頼まれてする程度でしたが、岡田先生の本を読むようになって、すすんで浄化療法の施術をするようになりました。自分だけではなく、母や家族も浄化療法で元気になってもらいたいとの思いからでした。
 僕が母に浄化療法を施術している時も手が温かくなったり、体が温かくなったりと変化を感じるようになりました。一歩一歩だと思いますが、“自分の「浄化」が改善しているのは浄化療法があるからだ”と思えるようになりました。
 いけばなについても、本を読んで花には人を癒す力があることを知りました。今では自分からお花をいけて、楽しむようにしています。
 高校へ進学してからは無遅刻、無欠席で通うことができました。体力づくりにと、晴れた日には自転車通学を心がけているので筋肉がついてきました。また先生からの勧めで生徒会活動を3年間続けることもできました。これまでの生活とは一変したのではないかと思うほど、高校生活は楽しく充実した日々でした。
 今でも、岡田式健康法の大切さを忘れることは全くなく、毎朝、自分でお抹茶を点てて飲んでいます。とても心地いいひとときで、大事にしています。

〔今回の体験を通して分かったこと〕

 今回の体験を通して分かったことは、不登校になった人は、好きなことを見つけて、不登校の原因になっている嫌なことを忘れ、気持ちを明るくするようにしなくてはいけないと思います。嫌なことを一度忘れて、楽しいことをして気持ちを落ちつけてから、不登校の原因になっているものを見つめると解決の糸口が見えると思います。
 その楽しむ手段として、岡田式健康法が役に立つのだと思います。ただ、周りの人が無理にやらせるのは駄目です。無理にやらせると逆効果で、その結果、治りも遅くなったり、さらには余計に学校から遠ざかっていくと思います。そして無理に学校へ行かせるようなことはしない方がいいと思います。
 岡田式健康法にしても、最初は、「療院や瑞泉郷に行ってみない?」と、誘う程度にして、「楽しかったと思ったらまた来て」と言ってくれると、触れやすいのではないかと思っています。

〔金沢療院・N作業療法士のコメント〕

 M君の親子は平成15年5月から受け入れています。
 クリニック部門では、まずバイタルチェックを行い、医師の診察を行います。その後、浄化療法を1時間程度行いました。それから芸術セラピーとしてお花をいけ、抹茶をいただきます。芸術セラピーは集団で行う場合と、個人のみで行う場合がありますが、M君には個人セラピーを行いました。そして、家庭のことや好きな話題のことなど様々な話をしました。
 M君は最初のころは落ちつきがなく、浄化療法も10分から15分程度しかできませんでした。芸術セラピーの体験でも、家庭などの不満を出すことが多かったです。M君は「家に帰ってもくつろげない、学校に行ってもくつろげない」と話していました。また「リラックスする場所ならどこでも良い。療院でも瑞泉郷でも」と訴えていました。家に帰ってもくつろげないというのは、自分への期待を過度に感じ、それが負担になっているようでした。
 継続して療院を受診する中で少しずつですが変化が見られました。療院に通う中で不眠症が改善したり、体が楽になったり、気持ちも楽になるという変化を時々感じるようになったようで、ある日、「母がなぜ療院に来たいのか分かった」とも言ってくれました。
 私が見ても、イライラ感、吐き気とか、眠気とかの症状を訴える回数が減少しているので、徐々に改善されているような印象を受けました。
 平成17年の3月ごろから、一緒に松任瑞泉郷へ行くようになりました。M君は岡田式健康法の中でも浄化療法を一番求めてきました。浄化療法によって体が改善していることを実感していたのだと思います。
 母親もはじめは“自分の息子が何故不登校に?”と悩んでいましたが、次第に“あの子のペースで歩んでくれればそれでいい。慌てさせない、あの子に合わせて信じて待つこと”と見守ることができるようになり、不安や心配もあまりなくなっているようでした。
 不登校の子の場合は、変に考え過ぎてしまわないようにすること、イライラをなくすことと、両親の負担を減らすことが大切だと思います。
 子どもが不登校になることによって、親は心身ともに傷つきます。それを第三者がひとときでもカバーするという意味では、療院や瑞泉郷は、その働きがあると思います。

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