命をつなぐ自然農法

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埼玉県  S・Kさん(75歳、男性)

〔自然農法を始めた動機〕

 私は、昭和23年、15歳の時に肝臓を患い、それがもとで病気を併発しました。いろいろな医者にかかりましたが一向に良くならず、つらい毎日を送っていました。
 そんな時に、浄化療法を受ける機会を得て、また、野菜中心の食生活に改める中で健康を回復し、それ以来大きな病気もすることもなく元気に過ごしてきました。
 浄化療法を受け始めたころ、岡田茂吉先生が創始された自然農法の話を聞き、その哲学に感銘しました。それは、自然農法とは「土の偉力」を発揮させる農法であり、その力を充分に発揮させるために土をできるだけ清浄にすることが大切であると説かれてありました。自然の野山の姿を見ると、化学肥料や農薬を用いなくても、太古の昔から永々と今日まで力強く生育している姿を見て、これが真理であるならば、農業にとって大きな福音であると思いました。

〔自然に順応した栽培〕

 昭和30年に結婚、昭和32年に夫婦で協力し、自然農法の実施に踏み切りました。開始当初1~2年はハクサイ、ジャガイモが立派にできましたが、3年目ころから作物がだんだん育たなくなり、本当に困った状況になってしまいました。困り果ていろいろ考える中、この地域が昔から大豆の産地であり、枝豆なら土に合っているのではと思い、作ってみたところ、収量、品質ともに良いものができるようになり、市場でも評判になりました。
 また、そのころ、東京の恩師が大病を患い、何も食べられない状態にあると聞き、“自然農法で作った米や野菜なら食べられるのでは”と思い届けたところ、不思議にも美味しく食べられ、その後、健康を取り戻すということがありました。このようなことを通して、自然農法の素晴らしさとやりがいを感じ、一日も早く自然農法の栽培技術を確立し、普及していかなければと決意しました。
 その後、土づくりと並行していろいろな作物を試験的に作り、特に成績のよかったタマネギとピーマンの栽培に力を入れました。タマネギの場合、色艶も良く、身が引き締まった大きなものを収穫することができ、味も良く、保存して置いても傷まないのに驚かされました。またピーマンは、露地栽培で同じような作型で、一般では10a当たり、5~6tが平均的収穫量とされていますが、6t以上の収穫量を上げることができ、自然農法に自信がつき、増反に踏み切りました。
 このように、栽培については、その土地に合った作物を作ることに心がけています。また、栽培時期も害虫の発生、天候などを加味し、適期に栽培し作物にとって適正な地温を確保することで、作物の生育は旺盛で、病虫害に負けない勢いが出ることも分かりました。
 具体的には、太陽の光、水分、土を基本に考え、栽培に取り組み、作物の株元まで日が当たるように株と株の間を広く取ることで、作物の生育は良くなり、病虫害の被害も出にくくなります。ただし夏は日差しが強いので、土を保護するため敷き草をします。敷き草は雑草を抑え、土の水分も保ってくれます。また私たちが歩き回る際にはクッションとなり土を固めず、作物の生育を助けます。
 水分は、土をいくら軟らかくしても、畑に水が溜まると土が固くなり、作物の生育に影響します。実際、水が溜まるところは発芽も悪く、作物の生育、特に根の伸びが悪くなりますので、畑の排水を良くすることは自然農法にとって大切で、排水の悪いところは畝を高くするなどの工夫をしています。
 そのほかに、自家採種にも取り組み、家庭菜園をはじめ、作物作りにはできる限り自家採取の種を使用しています。採種は難しく考えず、採取する種は適期に栽培したものから取るようにし、生育の姿が良いものから選びます。長ねぎの種(在来種“砂原”)は、40年自家採取しています。

〔多くの人々の心身の健康のために〕

 平成10年より、セット野菜の販売を始めました。初めは慣れておらず出荷形態が難しいと考えていましたが、実際に行ってみると、消費者のみなさんの声が直接聞けて、その会話の中から本当に自然農法を理解し、喜んで買ってもらえていることが実感でき、栽培する上でいつも励みになっています。
 また、消費者のニーズを大切にし、作付けにできるだけ反映することで、野菜づくりが、消費者一人ひとりに繋がっているとの実感と喜びも湧いてきます。現在は、月に500セットを出荷するまでになっています。そのほかの流通先として、MOA東日本販売(現:MOA商事)、量販店、スーパー、レストランなどと販売先は多岐にわたっています。最近ではインターネットで知り、野菜を分けてほしいとか、病院の医師の紹介で購入する方もいます。
 一例を挙げると、小児科医院の医師から紹介を受けて、アトピーで困っている子どもさんの母親が訪ねて来られ、わが家の自然農法の野菜を求められるようになりました。自然食によって子どもさんのアトピーが改善され、その方の紹介もあって、次々にほかのアトピーの子どもさんの母親が訪ねてきて、自然食を摂るようになってから改善されていく喜びの声が届くようになりました。また、化学物質過敏症(CS)の方も来られ、あちこちの有機農法の野菜を求め、食べてみたが一向に良くならず、わが家で作った野菜を定期的に購入され食べたところ、少しずつ容態が良くなり、「健康を取り戻すことができました」と書かれた喜びのお便りがありました。
 このように、健康の改善に寄与できている事実を体験する中、今まで自然農法に取り組んできたことが間違いなかったと確信しました。
 現在、耕作面積は約6haと広がり、できた農産物を東京都にあるMOA高輪クリニックの患者さんの食材としても提供し、少しでもみなさんの健康に役立てていただければと取り組んでいます。

〔美しき家庭へ〕

 わが家の食卓にも、この自然農法で栽培された野菜を食卓に載せるため、妻が中心となって家庭菜園も実施しています。そのおかげか父が93歳、母は89歳まで長命を保ちました。特に、母は49歳ごろから体調が悪く、何回も命が危ない状態になりましたが、浄化療法を受けたり、自然農法野菜を食べ続けることで元気になりました。私たちの命をつなぐためになくてはならない野菜であると実感しています。
 このようなことから、妻も、家族に食べてもらい健康であってほしいという気持ちと、栽培した野菜の生命を最後まで見守るという気持ちで家庭菜園を行っています。昔から言い伝えられてきている言葉として、「(作物の)第一の肥やしは、主人の足跡」の通り、畑の野菜はわが子のように思い、自然と畑に足が向いてしまいます。
 以前、レタスを栽培していたとき、栽培中に雹(ひょう)が降り、レタスの葉がちぎられ、筋だけになったことがありました。壊滅状態となりましたが、このレタスがどうなるのかと抜かないで菜園に残しておきました。そうすると、レタスは芯から新しい芽が吹き出し、収穫できるまでに立派に成育しました。この様子を見た妻は、生命力と土の力に感動し、このように土の持つ力が、その生命力溢れる野菜を育て、その野菜が私たち家族の健康を保っているのだと感じたようでした。妻は、いつも旬の食べごろの野菜を収穫し食卓にのせてくれます。食べる時も畑にあった野菜の一つひとつの生育中の姿が思い浮かび、感謝しながらいただいています。
 現在は、長男夫婦も一緒に自然農法に取り組んでくれるようになり、後継者も生まれて本当に嬉しく思います。そのおかげで耕地面積も広がり、多品目の野菜も栽培できるようになりました。また、地域の生産者の方々にも自然農法を実施してみたいという方々が出てきて、その方々が集まってMOA自然農法上里普及会を発会し、栽培技術などの生産面の情報交流を始め、消費者との交流、そして、地元の味噌・醤油等々の加工業者と連携し、地産地消の活動を通して地域の活性化にも取り組んでいます。

〔自然農法の拡大を願って〕

 自然農法に出合い、食べ物の大切さ、野菜本物の味わい、健康の喜び、そしてそれを支える自然農法に取り組めることに生きがいを感じ、これからも一生懸命自然農法に頑張っていきます。世界にはその日の食事もままならない人や、種々の病を抱え悩み苦しみの中で生活を送っておられる人が数多いと聞きます。このような人に自然農法の食べ物が届く思いで、土地を有効に使うように工夫し、野菜を作っています。世界中の人が自然農法の食べ物を食べられる日が来ることが私たち家族の夢で、その目標実現に向けて頑張っています。

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