息子が統合失調症を発症して

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兵庫県  Y・Hさん(65歳、女性)

〔息子の入院〕

 平成5年、当時22歳の息子は、金属加工工場を経営する同業の方に5年間の約束で預かっていただき仕事を修得することになりました。3年目に、そこのお嬢さんと恋愛して結婚の話までいったのですが、相手方のご家族から反対があって結局破談になりました。息子は心の痛みを誰にも訴えることなく、その後2年間、約束の期間を務めて帰ってきました。
 平成10年3月16日朝、それは突然の出来事でした。当時は、母屋の下に建てた新居に息子が1人で住んでいました。家に上がってみると、部屋の壁に「お父さん、お母さん僕は幸せでした」と書いた紙が貼ってあったのです。朝の散歩から帰ってきた夫から、先程息子にあって、「僕ちょっと行ってくるわ」と言って、出かけたと聞きました。その日、息子は帰って来ず、連絡も取れないし、本当に夫婦でうろたえてしまいました。
 息子の友人が手を尽くして探してくれました。17日になって近郊の都市で車が見つかりましたが、本人はおらずシャツや靴がそのままあるということでした。それを聞いた時に、“息子を死なせてしまった”と、目の前が真っ暗になりました。
 ほどなくして、17日早朝に息子が寒さに震えてその場でうずくまっていた時、同じような症状を持つお子さんをお持ちのご婦人が通りがかり、すぐに救急車を呼んでくださって病院に入院していることが分かりました。1週間ほど入院し、統合失調症と診断されて、専門科のある総合病院に転院することになりました。

〔次々と災難が起こってくる〕

 “これからどうなるのだろうか”と、先が見えない不安がありました。“私の人生のどこが間違っていたのだろうか”と自身を責めてみたりもしました。
 息子は発症前とは全く別人のようになりましたし、看護師さんから電話があって「どうなるかわからへんから来てください」ということで、夜中に夫婦で車を飛ばして病院に行ったことも何度かありました。
 入院中の息子は常に倦怠感や食欲不振、不眠に悩まされているようでした。特に「幻聴症状が激しい」と医師も心配していました。息子も「頭の中で声がして、怖かった」と言っていました。
 息子は、1年近い入院生活を送って、翌11年1月に退院することができました。退院した息子から「社会に復帰して仕事ができるようになりたいと思って努力した」という言葉を聞いて、“さぞつらかったろうに”“頑張ったなあ”と思うと、涙が出てきました。
 さらに、平成11年8月には、娘が心身症(パニック症候群)を患い、離婚して実家に帰ってきました。心身症が激しい時には、息もしづらい状態で“今にも死んでしまうのではないか”と思うほどのひどい症状が出るのです。また、生まれて間もない孫もアトピーに悩まされていたので大変な状況でした。

〔Hさんにすべてを打ち明ける〕

 息子が入院してまもない平成10年3月末に明石大橋の開通記念イベントにご近所のHさんといっしょに行きました。記念イベントは大勢の中から抽選で選ばれ、私たち夫婦がHさんに声をかけた経緯から、夫から「せめてお前だけでも行ってこい」ということで出かけることにしました。
 Hさんには、亡くなった義母のことや夫の入院の時など、事あるごとに心にかけていただいてきました。私は、日ごろのお付き合いから信頼を寄せていたHさんに、息子が統合失調症で入院したことを話しました。Hさんは言葉もないほどに驚かれました。この日、私は苦しい胸の内を全部聞いてもらいました。
 Hさんは私の話をじっと聞かれた後、岡田茂吉先生の哲学について話してくださいました。不平不満を言ったり、自分は不幸だと思ってばかりいても物事は良くならない、前向きな気持ちや、感謝の気持ちを持ち続けることが大切、人は心がけ次第で良くも悪くもなる等々、その内容は、共感できるものばかりで、相談して良かったと思いました。
 その後、Hさんから岡田式健康法を教えていただき、浄化療法を施術していただくようになりました。岡田先生の哲学をそのまま実行しておられるHさんを慕い、Hさんを中心としたMOA健康生活ネットワークの活動を一緒にやっていこうと思い、9月にMOAに入会しました。
 苦しい時、悩んだ時に、いつもHさんは「自分の心を天国にするのよ」とやさしく声をかけてくださるのです。健康生活ネットワークのみなさんにも何かと励ましていただき、また一緒に岡田式健康法を行いました。くじけそうになる私にとってこうしたことが大きな支えとなりました。

〔健康増進セミナーの開催〕

 わが家の転機となったことに、健康増進セミナーがあげられると思います。
 平成15年、播州地域の健康生活ネットワークのみなさんと、伊豆にある大仁瑞泉郷に行き、そこで進められている健康増進セミナーの内容に感激しました。
 ネットワークの話し合いで「身近なところで健康づくりを進めたいね」という話になり、当時は使っていなかったわが家の民家を使って健康増進セミナーを毎月行うことになりました。セミナーでは、浄化療法を体験していただいたり、「癒しの時間」を設けて、花をいけたり、お茶を楽しんだり、昼食には自然農法で栽培した野菜などを調理して食事をしたりと、参加者のみなさんと和気あいあいと楽しい時間を過ごしました。
 娘(平成13年MOAに入会)も子どもと一緒にセミナーに参加するようになりました。すると、娘は離婚やその原因となったパニック症候群、また子どものアトピーに対しての悩みを前向きに受け止められるようになってきました。
 ある日、健康増進セミナーの「癒しの時間」に、夫がハーモニカを演奏してくれました。夫は仕事一筋で、朝も夜も関係なく働き、仕事以外には見向きもしないような人でした。それが、一緒に健康増進セミナーに参加してくれるようになったのです。夫は体がつらい時は浄化療法を受けるようになりました。
 また息子も健康を回復する中で、平成17年に自ら進んでMOAに入会し、少しずつ活動に参加するようになりました。
 こうして、健康増進セミナーを続けることで、いつしか岡田式健康法がわが家の中に定着していきました。

〔統合失調症の改善〕

 息子は退院してしばらくの間は仕事もできませんでしたが、1年2年とだんだんと体調が回復するにつれて少しずつ仕事もできるようになっていきました。
 平成17年に夫が65歳を迎え、これを機に息子に金属加工工場を譲りました。心配だったのでしょうか、夫はそれからも毎日仕事場に顔を出していましたが、平成20年からは完全に息子に任せるようになりました。
 発症してから、息子は人との付き合いが苦手になりましたし、人前に出るのは苦痛のようです。「そばから見たら病気をもっているようには見えないけれど、すごく苦しいことなんや」というのです。でも工場の後を継ぐと、人と関わらない訳にはいかないのです。得意先を回ったり、仕事上の細やかな打合せも必要ですし、本当に頑張っていると思います。
 4~5年前から、水泳やマラソン、その後トライアスロンに挑戦するようになり、先日も大会に参加しました。自分が病気であっても、これだけのことができるということを見てもらって、同じ病気で苦しんでいる人の励みになりたいという気持ちのようです。
 今も薬を飲んでいますが、医師と相談しながら少しずつ量を減らすようになりました。
担当医師から「息子さんのように社会復帰できるのは珍しいのです。ぼくらよりもすごいよ。息子さんは努力しています」と嬉しい言葉をいただきました。
 また、2週間に1回、臨床心理士からカウンセリングを受けていましたが、平成22年9月30日で一応の区切りとすることになりました。息子が岡田式健康法のことを話したところ、「私も浄化療法を受けてみたい」ということで、30日に伺った折に浄化療法を施術しました。その方から「受けるとジンジンとして身体が温かくなりました」と言われたと、息子は喜んで話してくれました。

〔娘の回復と一家の変化〕

 娘も一進一退の状況を繰り返しながら徐々に体調が回復していました。しかし、平成21年は心身症の激しい症状が出て、病院で「娘さんもこのまま親と一緒に生活していたら立ち直るのが難しくなりますよ」と言われました。親と同居すると、何でも親に頼ってしまってそれがよくないとのことでした。一人でやれるのか心配しましたが、これを機に、下の家で孫と二人で生活するようになりました。
 炊事や洗濯や掃除などの家事をすべて行うようになって、症状も治まってきました。何よりも自分でやらなければという自覚が芽生えてきました。
 今年(22年)から仕事も1日3時間、週3日程、清掃業のアルバイトを始めました。着付け教室にも通っており、自分なりに将来を見据えて生活を送っているようです。
 孫も中学3年になりましたが、今ではすっかりアトピーも良くなりました。今年初めてプールにも入ることができ、クラブでは陸上部で大会に行くなど、毎日を楽しんでいます。
 夫のもとに嫁いで43年、嫁・姑問題、脱サラして始めた夫の事業での借金、そして息子の統合失調症、娘の心身症、孫のアトピーと苦悩の連続でした。お金のことでは夫婦喧嘩もよくしました。お金は回っているのですが、常に決済日に追い立てられるような気持ちでいたからです。
 平成10年にHさんにわが家の悩みを相談してから今日までの間、家の中は変わり、今は平和で幸福な毎日を過ごさせていただいています。一通りの人生の辛酸を味わってみて、『感謝が感謝を生み、不平が不平をよぶ』ということが、本当にその通りだと実感します。
 さらに平成16年からはHさんという良き先輩とともに、中学校での花のいけこみをさせていただき、翌17年からは「こころの教育相談員」の活動を始めるなど、さまざまな活動に参加させていただけるようにもなりました。関わる人々の素直な笑顔や豊かな表情に出会えて、「人に尽くす喜び」を心から実感しています。

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