教室の落ち着きを得た花のいけこみ

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富山県  A・Kさん(40歳、男性)

〔人間の力の限界を感じる〕

 私は中学校教諭になって14年、これまで5校を回ってきましたが、年々、生徒が落ち着いて授業を受けられなくなっている印象があります。大きい学校へ行けば行くほど、都会の学校になるほどひどい印象もあります。
 今の中学校へは4年前に赴任してきました。始めは1年生を受け持ち、そのまま持ち上がって、2年生、3年生と受け持ちました。県内でマンモス校と言われる学校で、1クラスに30人程度の生徒がいますが、生徒の1割弱に問題があります。「問題がある」というと、教師に向かってくるとか、暴力的なイメージが強いですが、どちらかというと、落ち着かない、座っていられない、集団の中で頑張れず保健室に逃げてしまうタイプです。
 昨年度は3年生を受け持ちましたが、受験の時期なのに教室に来ない子がいました。「僕は一生懸命パソコンで勉強したいんだ」と訴えていたのです。もちろん親は駄目だと言い、学校に行くように言います。しかし説得できず、その子は登校するフリをして、出かけてしまうのです。私も最初は学校を出て一生懸命探しました。しかし、見つけても逃げられてしまいます。足が早いので、本気で追いかけても負けてしまい、無理だと諦め、それからは追いかけるのをやめました。このように、家庭で解決すべき問題が学校に持ち込まれていることも多いのです。
 生徒が学習に落ち着いて粘り強く取り組めない原因はいろいろあり、教育委員会も対策を考えています。例えば、学校にゆとりのある空間を造る、生徒一人当たりの教諭の数を増やして目を行き届かせるなど、ハード面、ソフト面で考えていますが、予算の関係でどこの学校も苦しい状態なのです。学校単位でも頑張っています。私の中学校には40人ほどの教諭がいますが、週末でも出勤しない人はいません。教諭同士がスクラムを組んで、プライベートの時間も割いて頑張っているのですが、それが生徒たちに上手く反映しないのです。そのうえ、社会からは「学校の先生は何をしているんだ」と非難される。自分たちが一生懸命やっているからこそ、この現状に対して、多くの教諭が人間の力の限界を感じているのです。

〔いけばなの体験談を聞いて家で花をいけてみる〕

 平成22年8月でした。岡田式健康法の一つである美術文化法の活動をしている方々のフォーラムのビデオを夫婦で見る機会がありました。その中で、口も聞いてくれない不良少年を持つ父親がお花をいけはじめたという大阪の話は、今でも鮮明に覚えています。
 その父親は、花と花瓶を買ってきて、家でいけはじめたのですが、それを見た息子は花瓶をはたいて割ってしまうそうです。父親はまた花と花瓶を買ってきていけますが、また割られてしまう。それでも続けると、息子は何もしなくなり、さらに続けていると、息子に挨拶をすると「うん」と返事をするようになったり、母親に「お弁当作ってくれ」と口を聞くようになったのです。その話を聞いた時は“花をいけるだけでこんなに凄いことが起きるのか”と驚きました。
 三重にいる私の母は、以前から光輪花クラブというお花の教室を開いており、学校にボランティアでいけこみもしています。私が教諭になった時から、母に「学校でお花をいけてみたら」と何度か勧められていたのですが、その時はまだ興味がありませんでした。しかし、今回のビデオを見て、“お花は何か力を持っているのかもしれない”と感じ、妻と「やってみようか」と言って、始めてみました。
 私が花を買ってきて、妻と一緒に玄関先やテレビの部屋、子どもの部屋に飾りました。
 1週間ぐらい経った頃でしょうか。2人いる息子たちが、花をいけている私を見て「趣味が増えたね」と言ってくれます。花を拡げて「どれがいい」と聞くと「これにしようかな」と選んでくれます。私のいけた花をまじまじと見て感動するといったドラマみたいなことは起きませんが、花をいけるようになってから、家の中に笑顔とか優しい言葉が増えてきたように思います。
 何よりも自分が一番変わったように思います。毎朝、お花をいけていると、自然と“この花を見てくれるといいな”とか“花を見て幸せな気持ちになってほしいな”と思うようになります。そうすると、1日のスタートがおだやかに切れて、家でも学校でも怒ることが少なくなりました。
 この体験から、夏休みが明ける2学期の9月から、学校でも始めてみようと思いました。

〔学校でいけばなを始めた時の生徒の反応〕

 私はまず、自分のクラスを含め、近くの3クラスの教室の入り口に花を飾りました。
 花屋さんで買ってきた1000円ほどの花を3つの花瓶に分け、それぞれの教室の入り口に並べた生徒机の上に置きました。花瓶敷きは100円ショップで買ってきたものやハンカチを使いました。
 花を飾ると、すぐに生徒たちの反応がありました。花を触ったり、突ついてみたり、臭いをかいでみたり。花の向きや花瓶敷きの位置が変わっていることもありました。
 この頃は残暑が厳しくて、花がすぐにしおれてしまうので水替えを頻繁に行っていました。私はあえて、生徒たちに水替えをさせないように自分でやっていたのですが、自発的にやってくれる子が出てきました。「先生、この花もらってもいい?」と言ってくれる子や、「先生、その花いいですね」と声をかけてくるので、「好きな所に置きなさい」と言って渡すと、「じゃぁ、私の教室に持って行く」と言う子も出てきました。
 あっさりしたやりとりですが、このような会話ができることが嬉しく思いました。花を通しての会話は、非常にあたたかい感じがします。朝、花を飾るようになってから、ほかのクラスの生徒たちの顔も見られるし、接することもできるようになりました。顔を合わせると「今日も元気か?」「1限目は(私が担当の)授業やったな」と、ふれあいができるようになったのは自分の中で大きいと感じています。
 そのうち、もっと花を飾りたいという欲が出てきて、ほかのクラスや踊り場などにも花を飾るようにしました。
 10月からは、毎年花屋さんが文化祭に合わせてプレゼントしてくれるパンジーも加わりました。

〔問題のある生徒の変化〕

 私は花屋さんで「この金額で花をください」とお願いして買っているので、花の名前を全然覚えることができません。教えてもらっても、学校に着くと忘れてしまうこともよくあります。
 普段、学校に花を飾る時は、子どもの心に訴えかけられたらと思って、クラスの黒板に「おはようございます。今日も新しい花をいけました。また見てやってくださいね。花が大好きなお兄さんより(おじさんじゃないよ)」と書いているのですが、ある日、キンギョソウの名前を忘れてしまって、黒板に「このふにゃふにゃした花は何なのか教えてください」と書いたことがありました。さっそくその日、「先生、これキンギョソウだよ」と教えてくれた生徒がいました。その子は授業中に勝手に席を立ったり、人を殴ったこともある、学年の中でも非常に手のかかる生徒でした。
 私は担任の先生にこのことを伝えました。その先生は驚くとともに「だから持っていたんですね」と言いました。どうやら、その子は黒板のメッセージを見た後、わざわざ図書室へ行って、植物図鑑を持ってきて、キンギョソウの名前を調べ、私に教えてくれたのでした。
 振り返ると、集団生活の中でエラーを起こしている生徒たちが、こういう事例を出す場面が多いと感じています。「先生、あの花きれいやな」とか「先生、いつもお花ありがとうね」と話しかけてくる子、お花を世話をしてくれる子は、普段、寂しそうにしている子が多いと思っています。毎日、花を見たり、声をかけたり、水を替えたりして花と触れ合うことで、何か生徒たちに力を与えているのではないかなと感じています。

〔花は多感な生徒たちの心のうるおいになっている〕

 不思議なのは、今までわざと花を倒したり、花瓶を割ったという出来事がないことです。やりそうな子はいます。いたずらをして知らないフリをする、何でこんなことをするのだろうと不愉快になることをする子はいるのに、花に関しては一度もないのです。
 きっと、お花というのは、無条件に良いと思っている、綺麗だと思っているのです。それを「綺麗やね」と口に出す子もいれば、やんちゃな男の子は「なんやこれは」と言いながらも、実は心の中で認めているのです。だから、花を粗末に扱う子がいないのです。
 私自身、お花をいけていると落ち着きますし、元気をもらうこともあります。周りもそう思っているだろうと感じているので、忙しくても毎朝、花をいけ続けられますし、花代が月に1万円ほどかかり、妻から「お父さん、ビール減らしたら?」と突つかれても続けられるのです。40歳を過ぎて、いろいろな部分で鈍感になっている大人でさえ、こんなに花がいいものだと感じているのですから、多感な生徒たちはもっといろいろなことを感じているはずです。ですから、もっと広めたいと、全学年の教室に花を絶やさないようにできればと思っています。そうすれば、生徒たちに心のうるおいいができるはずなので、いさかいごとや問題も減るのではないかと思っています。

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