甲状腺機能低下症・パニック障害を乗り越えて

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新潟県  W・Mさん(37歳、女性)

〔甲状腺機能低下症を患って〕

 私は、子どものころから、頭が痛くなることが多く、高校生のころは頭痛薬を常にポケットに入れている状態でした。
 平成10年9月に結婚しましたが、その後も頭痛のため家事が思うようにできずに、イライラしたり、ものすごく落ち込んで眠れなかったり、夫と話をしても分かり合えている感じがしないので喧嘩ばかりして、ますます落ち込んでしまう毎日でした。
 それでも妊娠が判明し、頑張ろうと思ったのも束の間、12月に流産してしまいました。さらに平成11年1月と2月に大好きだった祖父、祖母が急に亡くなり、ショックで本当に落ち込みました。
 そのころ、風邪が中々治らないため、地元の内科医院で検査をしましたが、甲状腺の数値が少し異常とのことで、N病院を紹介されました。内分泌科では「甲状腺機能低下症かな」と言われましたが、薬を処方されるまでのことはありませんでした。イライラして落ち込んでしまうことも話しましたが、甲状腺とは関係ないと言われ、精神科の受診を勧められました。精神科でも、医師は私の話を聞くばかりで、私には良くなるという感じがしませんでした。
 平成11年、夏に向かって暑さが増すころ、心身の体調が大きく崩れる感じで、夜も眠ることができず、しばらくの間、夫婦で私の実家に帰ることになりました。
 このころも、内分泌科と精神科に定期的に通っていました。精神科では症状の悪化に伴い投薬治療を勧められましたが、ちょうどこの時に妊娠の兆候が出ており、検査の結果、妊娠と分かり、投薬治療はしないことになりました。
 出産予定日の一週間前から陣痛があり、妊娠中毒症の症状も出ていたので入院することになりました。平成12年4月、約33時間かかり出産しました。
 出産後も精神的に不安定で、夫とは離婚も視野に入れた別居をすることになりました。
 その夏に異常に汗が流れ、少し動くだけでも疲れ、イライラし、落ち込みました。衝動的に髪を切ってしまうような状態で、自分でもどうしていいかわかりませんでした。

〔東京療院に通い、統合医療を継続する〕

 両親も働きながら、私たち親子に対して、自分たちにできることを一生懸命にしてくれました。私を何とかしたいという一心だったと思います。
 そうした中、息子が生まれた年の8月に健康生活ネットワークのAさんの勧めで、父が高輪にある東京療院に連れて行ってくれました。医師に甲状腺機能亢進症によるうつ病と診断され、投薬治療(甲状腺の薬と精神安定剤)と岡田式健康法浄化療法美術文化法(花療法)で治療していくことになりました。東京療院にはそれから毎月、父が連れて行ってくれました。
 東京療院に通い始めてからも、甲状腺の病気のために、暑さがとてもきつくて、外出することができず、子どもを公園などに散歩に連れて行くこともほとんどできませんでした。普通のお母さんがしていることができない自分が本当に悲しくてつらく感じました。
 さらに私は、息子の世話をし、私たち親子に浄化療法を施術しと、懸命に尽くしてくれる母に対して、「私の気持ちをわかってくれない」と、無理を言っては激しくけんかをしてしまうような有り様でした。後になって全ての原因が自分にあると後悔し、“自分がいなければ家族はどれほど気が楽だろうか”、“息子にとってもこんな母親はいないほうがいい”と思い詰めて、家を出てみたり、薬を大量に飲んだり、手首に剃刀を当てたりと、そんな状態が何度もありました。でも、そういうギリギリの状態を療院のみなさん、スタッフ、健康生活ネットワークのみなさん、家族の献身的な浄化療法の施術によってだんだんと救われていきました。

〔花による癒し〕

 私は病気がひどい時に、健康生活ネットワークのみなさんのお花の活動に参加して、何度もお花に癒されてきました。その体験から平成13年6月からは「光輪花クラブ」というお花の教室を受講してきました。
 花の持つ美しさを見つけ、その美しいところを活かして、いけるということが本当に素晴らしいと思います。その花のありのままの美しさを発見した時に、自分のこともありのまま受け入れることができて、涙が出てきました。花は私が苦しい時に、私の心に寄り添ってくれるようで、何か悩みを抱えている時には、その答えをそっと知らせて気づかせてくれます。心だけではなく、実際に体調が悪い時にも、お花をいけると活力が出て来て、体がよく動けるように感じるのです。お花の持つ素晴らしさに毎回心から感動と感謝でいっぱいになります。
 私は、MOA美術文化インストラクターとなって、少しでもお手伝いができるようになりたいと思うようになり、平成19年に試験を受けて合格することができました。

〔就職が決まる〕

 平成20年3月に東京療院を受診した時、S医師から、「だいぶ良くなりましたね。やってみたい仕事があれば、最初は短い時間ならいいですよ」と言われました。そして翌月からは地元のN病院で治療を受けることになりました。私が東京療院で受けてきたことは、本当に大きなことでした。N病院の医師からも、S医師の紹介で甲状腺ホルモン数値が安定し正常値の範囲内に入っていたので「しっかり上手にコントロールされてきましたね」と言われました。
 就職活動は、求人情報誌や会社やショップのホームページを見て応募したり、ハローワークから紹介を受けて面接を受けたりしました。勤務時間や休日の面で中々思うような求人がなく、あって受けても不採用という結果でした。
 その時から、履歴書に、財団で認定しているMOA美術文化インストラクター、光輪花1級、盆手前の初級の資格を書き加えました。書く前には、“こんなことを書いて変に思われないか”と少し抵抗がありましたが、“本当にいいことをしているのだから、自信を持っていいんだ”と思い直しました。
 夏休みに入って、息子が保育園に入る前からの知り合いであるCさん親子と私と息子の4人で、自然科学館へ出かけました。私にとっては、息子のお友だちのお母さんと出かけることは初挑戦でした。その時に、私の体調も良くなり就職活動をしていることを自然に話すことができました。Cさんは、私の体調が悪かったころを知っており、「良かったね~」と喜んでくれて、保育園で保育士さんのお手伝いを募集していることを教えてくれました。翌々日に市役所に問い合わせたところ、私の住んでいる地域の保育園で募集しているというので、履歴書を持って面接に伺いました。
 面接を担当された方から、履歴書の資格の欄について「いろいろなことを勉強されているのですね」と言われ、MOA美術館のことをお話しし、「いつか収入や生活が安定したら、子どもたちにお花を教えるクラブ(光輪花クラブ)をしたいという夢もあります」と話しました。そして、担当の方は私のわずかな仕事の経験(幼児英語教師)を買ってくださり、採用が決まりました。
 平成20年9月1日から午後に3時間程、臨時職員(無資格の保育士)として保育園で働いています。お部屋のお掃除や子どもたちのお世話、延長保育の4、5、6歳児と遊ぶのです。子どもが好きなので、子どもたちの寝顔に癒され、子ども達から元気をもらって、毎日充実して働けています。現在は0歳児のクラスに配属され、赤ちゃんのお世話をしています。
 息子との時間を大事にしたい、光輪花クラブも続けたい、美術文化インストラクターのこともしたい、という本当に私の希望に合った仕事に就くことができました。おかげで息子とも土・日・祝日は一緒に過ごせますし、通勤もとても近く、午後のみなので、光輪花クラブも続けられます。

〔自分が幸せになっていく喜びを今度は人に〕

 平成16年春、息子の保育園入園にあたって、お便りバッグやコップ入れを作ることができました。少しずつ体調が良くなっていき、精神的にもだんだん安定し、洗濯干しができたり、食事を作ったり、掃除機をかけたりと、やっと普通のお母さんらしいことができるようになりました。
 息子が小学校に入学した平成19年の春にも、体操着入れを作ることができ、それからは、一緒に自転車に乗って出かけたり、普通に息子にしてあげることができるようになりました。今では、東京療院に息子と2人で行けるようになりました。
 今、本当に幸せを実感しています。息子は私にとって本当に生きる源です。今、できることに感謝し、楽しく幸せに息子と一緒に暮らしています。息子が心の支えになってくれて、私も息子の支えとなれる母になりたいと思っています。
 そして、今日まで、言葉に言い尽くせない程大変な状態の私を必死で支え、生まれてきてまだ小さかった息子をともに育て、支え続けて来てくれた両親と弟夫婦に心から感謝しています。そのように大切な家族にほんの少しでも私にできる恩返しをしていきたいと思っています。
 またMOA健康生活ネットワークのみなさんが、どんなひどい状態の時でも私を決して見捨てないで、温かく励ましてくださり、岡田式健康法に取り組んでくださいました。中でもAさんとスタッフには急を要する状況の時には、夜中でも駆けつけてくださったり、いつも私や両親の相談に乗っていただいたりと、本当にお世話になりました。他人のためにこんなにも尽くすことができるみなさんを心から尊敬しています。私にも何かお手伝いできることがあれば、是非させていただきたい、もっと病気や悩みで苦しんでいる方の力になれるようにと思い、岡田式浄化療法の療法士資格の取得講座を受講させていただきました。
 これからは、甲状腺機能低下症の改善も目指しながら、少しずつでも悩み苦しんでいる方に寄り添い、岡田式健康法を通して、幸せに生きるお手伝いをさせていただきたいと思っています。私の大切な息子や家族、健康生活ネットワークのみなさんと一緒に、楽しみながら私のできることをさせていただこうと思います。

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