脳腫瘍が消失していると診断される

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大阪府  S・Fさん(53歳、女性)

〔兆候〕

 平成17年1月22日に、障害福祉施設のボランティア活動に参加しましたが、携帯電話のメールが二重に見えるなど、目の調子が悪く気になりました。
 24日には母が目薬をもらいに行っている眼科を受診しました。医師からは「疲れ目であろう」と診断され、薬を処方していただき、しばらく様子を見ていたのですが、目眩がひどくなる一方でした。これは更年期障害ではないかと思い、あらためて相談したところ、夫を亡くしていることなどもあって、日々のストレスや心痛からきているのではないかということで、心療内科にも行くように言われました。その後、脳神経外科へCTを受けに行きました。それぞれの専門科で薬が処方されましたが、症状は良くなりませんでした。
 始めは目眩がする程度でしたが、そのうち一人では歩けなくなり、家ではトイレに這って行くような状態になりました。そのような状況が1ヶ月続きました。

〔脳腫瘍で入院する〕

 3月に入ると、とうとう起きられなくなり、妹に「お姉ちゃんがこんなに長期間寝込むのはおかしい」と言われ、S病院で脳のMRIを撮影することになりました。
 3月4日、仕事の都合で行けない妹に代わり、ネットワークのNさんが車椅子を押して付き添ってくださいましたが、即、入院することになりました。
 すぐに家族を呼ぶように言われ、弟や息子たちと一緒に説明を受けました。「小脳に腫瘍があるようだ」と聞き、瞬間的に“夫と同じ年で私も死ぬのかな”ということや、“やっぱり何かできていたのか”という思いが頭をよぎり、あとは頭の中が真っ白になり、気が遠くなりました。
 13日に担当医から症状の説明がありました。3回目の脳のMRIでは、病巣は1cm弱であることが分かりました。それまでは小脳全体が腫れて真っ白に映ったために、病巣の腫瘍の大きさを特定することができない状況でした。腫瘍が良性か悪性かということについては、最終的には病巣の組織細胞を調べないと正確には分からないということでした。
 脳幹に近い右小脳の奥深い場所であり、運動機能に関係する複雑な場所なので、腫瘍となっている病巣を採取できず、また手術も難しいとのことで、少し様子をみることになりました。
 私のような症状が出るケースは、大半は肺ガンか乳ガンの転移が多いということから、胃カメラ、大腸スコープ、PET検査など全身くまなく検査しました、その結果、転移したのではなく、単独で小脳に腫瘍ができていることがはっきりしました。
 入院当初は脳の腫れが膨張して目の神経を圧迫しているために、一日中目が回っている状態で、ほとんど起きることもできない状況でした。はじめは車椅子で移動していましたが、次第に脳の腫れも引いてきて、杖を使って歩けるまでに回復してきました。1ヶ月後には腫瘍の大きさが7㎜になり、無事退院することができました。
 寒い時期にも関わらず、健康生活ネットワークの方々が交代でお見舞いに来られて、浄化療法を施術してくださり、ネットワークの方々には本当にお世話になりました。

〔脳腫瘍が消失する〕

 3月末に帰宅しましたが、目の具合が悪く、まだまだ歩くのも電車に乗るのもつらい状態でしたが、“浄化療法を受けたい”との思いが強く健康増進センター(現:MOAかんさい健康センター)に通い、また地域のネットワークの方々からも浄化療法を受けることができました。
 5月には、MRIの検査で腫瘍は5㎜まで小さくなっていることが判明しました。
 症状も次第に改善に向かい、自分で車の運転ができるようになりました。
 11月には、さらに小さくなり、ほとんど消失しているような状態にまで回復することができました。しかし、この時点では「再び大きくなることがある」との診断で、まだ安心できるという状況にはありませんでした。
 健康増進センターと常に連絡をとっておられる医師より「よい方向に向かっているので浄化療法を続けてください」とアドバイスを受けました。以後継続して、健康増進センターや地域のネットワークのみなさんより浄化療法を受けました。
 平成18年6月末の定期検診で、S病院の担当医はMRIを見ながら「腫瘍が消失していますよ。どこにあったんかなぁ。あの時は、開頭手術をしようと思っていたのに、不思議な人やなぁー、僕らも良い勉強をさせてもらった」と言われました。
 岡田式健康法を紹介するリーフレットを担当医に見せ、岡田式健康法を継続してきたことを報告したところ、「良い方向に行っているから、良いと思うことはどんどんやってください」と言われました。そして「今回のようなケースで腫瘍が消失した例は、私の経験上では、一例もありません」と、驚かれておられました。そして、「卒業!!」と言って、拍手してくださいました。本当に嬉しかったです。

〔体験して、気づいたこと〕

  何もないのが一番ありがたいということは聞いてもきましたし、分かったつもりでいましたが、実際自分が経験すると本当にそうだと思いました。入院しての検査の大変さをはじめ、治療を受けている間は人に言えないほどの苦しみもありました。また食べることとかトイレとか、そんなことがどれだけ大変なことか、元気な時には思ってもいないことですが、自分が初めて入院して、病気をした人のつらさがあらためて理解できました。
 振り返ってみると、いろいろなことが見えてきました。入院までの一ヶ月の間、病名が分からず、病院を転々とたらい回しにされたような状況に腹を立てていましたが、自宅に居る期間に浄化療法を受けられたことが、その後の結果に大きくプラスしたと思えてなりません。
 脳神経外科部長は「病巣を取り出してどのようなものか確認したかった」とのことですが、担当医の医師が「手術をしないで治療を行ないましょう」と私の気持ちを大切に扱って治療方針に反映されました。その医師は私の退院と同じ日に鹿児島の病院に赴任されましたので、もう少し早く移動となり、担当医が変わっていれば、違った経過を辿っていたかもしれないと思うと、巡り合わせの幸運に感謝しています。
 一つひとつの出来事がちょうどドミノのように、影響し合い繋がっているということを感じます。しかし、今までは夫を亡くしたことが頭を離れず、自分は不幸だという思いがありました。今回の出来事を通して、亡き夫も、あの世から常に家族を温かく見守ってくれているように思われてなりません。そのことも、心の支えになっています。
 私は、毎日手帳をつけています。その手帳を開いてみて、この間、多くの方にお見舞いいただき、浄化療法を施術してくださるなど、心配してくださっていたのだということを、あらためて実感することができました。人は一人では生きていけるものではありません。私は今後、この喜びを伝え、人のために尽くしていきたいと思います。

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