自然農法のショウガづくり

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高知県  T・Kさん(37歳、男性)

〔人の健康を願って、母が自然農法を始める〕

 私は、農業にはまったく関係のないサラリーマン家庭に育ちました。平成5年ごろ、病気がちであった母が勤め先の友人から岡田式健康法を紹介していただき、浄化療法食事法を体験しました。自然農法の食材を使用した食事で体力を回復した母は、平成7年に家庭菜園で自然農法によるショウガの栽培を始めました。
 高知県はショウガの生産日本一で、私の住んでいる町は、高知県内でも一番のショウガの産地です。 町はS川のちょうど中流域にあたり、標高約220m、夏は特に昼と夜の気温差が激しく、夏でも夜はエアコンを必要としないくらいに涼しくなります。雨量も多く、霧が発生しやすい気候が水分を好むショウガの生産に適しているようです。
 母は平成12年から安全な野菜を育て、多くの人に食べてほしいと願い、70坪の家庭菜園から、いきなり37アールの畑を借りて、自然農法でショウガの栽培を始めました。 借りた畑は国の国営事業により山を切り取り造成された畑で、「作土は5㎝もなく山の心土の赤土がそのまま土の表面に出た畑とはいえない所だった」と、農機具店に勤めていた友人から聞きました。そんな中を鍬一本で開墾する母の姿を見て、その友人が会社からトラクターの中古を持って来て耕してくれましたが、あまりにも固い粘土の赤土なので、トラクターが壊れ、大変だったと聞きました。

〔無農薬でショウガ栽培に挑戦する〕

 私は、平成10年にMOA自然農法文化事業団大仁農場の存在を知り、その紹介記事に書かれている岡田茂吉先生の自然農法の論文を読んで、農業に対する見方が変わりました。私の友人に農家が多いため、慣行農法のいろいろな課題を聞いていたので、農業だけはする気になりませんでした。それにも関わらず、論文を読んで、何ともいえない気持ち良さを感じました。こんなすごい農業があるのなら、ぜひやってみたいと心惹かれました。
 私はそれまで勤めてきた測量会社を退職し、平成11年4月に27歳で財団法人微生物応用技術研究所(現:農業・環境・健康研究所)が運営する自然農法大学校に入学しました。
 平成13年3月、自然農法大学校を卒業し、高知に帰り、既に母が取り組んでいたショウガ栽培に挑戦しようと思い、地元の農業改良普及所を訊ねました。ショウガの有機栽培について相談すると、「無理よ、やめちょき。病気が一夜にしてショウガ畑に拡がり、やめた人がたくさんおるし、あんたは連作する気やろ。病気や虫に対して、どうするよ。悪いことは言わんから無農薬ではショウガはできんから、家の人とよう話して、今のうちに考え直したらいい」と言われる普及所の方の真剣な対応に驚きました。
 ショウガについて調べてみると、ショウガは連作を最も嫌います。(連作障害とは、同じ畑で毎年同じ作物を作ることによって病気などの弊害が起こること)ショウガは、作物の中で1反(約1000㎡)あたりの種芋代が一番高価で約20~30万円かかります。しかも、害虫や病気に弱いとされ、そのうえ窒素食いと言われるほど多量の肥料を施します。
 慣行のショウガ農家の方にも、一夜にしてショウガ畑が病気にかかり、全滅した経験をしている方が大勢いると伺いました。実際、私も何度となくそういう畑を目にしました。だから、「ショウガは博打」と言われます。
 そのような栽培が難しいショウガとされているため、慣行の農家では土壌消毒から始まり、本葉が出てからは、一雨ごとの消毒が植え付け前の2月から収穫間際の10月下旬ごろまで続きます。だからこそ、母は無農薬でショウガを育ててみたいと始めたように思います。

〔自然災害から自然を規範としていなかったことに気づく〕

 ショウガの有機栽培に取り組み始めた当初は、有機資材は有機堆肥として効果を発揮するのだと信じて取り組んでいました。当時、病気(立ち枯れ)や虫害(アワヨトウ)、また2年目からは連作障害と課題がたくさんありました。収穫量も慣行農法とは比較にならない量で、さらに貯蔵の問題で大体収穫量の1~2割がダメになっていました。
 平成16年には、40日間の干ばつと3度の台風上陸という自然災害に遭い、8反(約8,000㎡)のショウガ畑が壊滅状態になりました。その時は不安と絶望感で本当に言葉もありませんでした。
 しかし、その畑の中で約0.5反(約500㎡)のショウガは、なぜか元気に育っていました。壊滅した耕地と元気に育っている耕地をよく観察してみると、元気にショウガが育っていた所は、土が軟らかく、水持ちが良かったので、ショウガの根張りが良く、自然災害にも対応できたのだと直感しました。
 この年、自然農法無肥料栽培の創始者岡田茂吉先生の論文にあるとおりの栽培を家の裏庭の畑で座布団2枚分の広さで実践していましたが、本当に良いショウガが収穫できました。
 一般的に見ると自然界では大気中に窒素約78%、酸素約21%、アルゴン約0.9%が含まれています。この天然の窒素は雨や雪などにより、大地に還元されています。そのことは、畑の野菜にかん水したよりも雨が降ったあとは、生長が良くなっている事実からも明らかです。
 この結果から、微生物が土壌を改良し、養分を高めること、土を固めず、土壌に充分な空気を送り込み、保温、保水の効果をあげることの大切さを学びました。有機堆肥そのものが栄養分というとらえ方ではなく、堆肥を使用することは、このような土壌づくりの手助けになるのだと理解できました。大自然の中で農業を営んでいるにも関わらず自然を規範としていなかったことに気がついた大きなターニングポイントになりました。

〔土の偉力を発揮させるように〕

 それからの私は土壌づくりを第一に自然農法に取り組んできました。ショウガが病気や虫害に負けないようにするために、土を汚さないことに心がけました。また、土を固めないようにするために、落ち葉や刈り草を約3ヶ月~1年くらい野積みした半腐れのものを土に混ぜています。その土地に生きる土着菌など、さまざまな微生物の活性化を促すためです。また、地温を上げ、植物がしっかり根を張り、健全に育つ環境づくりを進めました。さらに、土が乾かないための工夫として、刈り草などで被覆をして作物の根際の乾燥と雑草の抑制も兼ねました。被覆は秋までには、畑の土壌微生物などに分解され、有機物として畑に還元されます。土壌の肥沃にも繋がると考えています。畑の通路などは雑草を生やしておき、適期に刈り取ることによって、畑の乾燥を防いでくれ、土壌の物理的改善を助けてくれます。
 平成20年のショウガの収穫は、昨年に比べて反当たり330㎏増収しました。まだまだ一般農家の収穫量には及びませんが、確実に増産していることで「やっていける」という自信がついてきました。連作6年ですが、病害はほとんどなくなりました。畑の土の中に拮抗菌ができたと考えられますし、土壌微生物が豊かになったためと思われます。虫害はまだ少しありますが、以前に比べたら気にならない程度です。畑に天敵が増えたのも原因です。

〔安心で安全な食材の提供を〕

 7年間、無農薬によるショウガ栽培に取り組んでみて、友人や周囲の方々に智恵をもらい、手助けを受けながらここまでやってくることができました。私は母がショウガ栽培を行なっていたからではなく、無肥料栽培に興味を抱き、結果的にショウガの栽培で生計をたてることになりました。実際に取り組んでみて、母がどのように苦労し、愛情をかけて無農薬のショウガ栽培を行なっていたのか気づかされることがたくさんあります。
 妻とは平成10年末から付き合ってきましたが、27歳で安定した職を投げて、自然農法大学に入学し、ショウガの栽培を始めた私を理解し、苦労も喜びも一緒にしてきました。現在3人の子どもにも恵まれました。この子たちのためにも、安心で安全な食材を提供し続けることを思い、自然農法が大勢の方々にも理解され、拡がっていくことを願いながら、今日も家族で畑に向かっています。

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